甘泉園3
(随分登ったつもりが隣のビルより低い)6612
(今度こそ、いよいよテッペンかな)6610
(このこそ頂上 裏門が見える)6615
(ここが水神社の門 今迄も水神社の中?)6616
(水稲荷神社鳥居)6619
(水稲荷神社境内に入る)6620
(更に一段高い所に水稲荷神社)6622
[甘泉園3] 2024.3.28.thu
ここまで来ると人影も少なく林の中や岩陰は不気味な雰囲気、でも人里離れた山中とは違い、遠く町の音が流れて来る。前回訪れた時はここでヤギや馬の手入れをしている人を見た。神社で飼っているのかも、二宮金次郎の石像も見たがこれは今日もありました。学校が近いらしく頂上から奥の市街地はすぐらしい。境内の狐の像は怖い顔で睨んでいる。笑っていては始らないか。
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甘泉園2
(雪釣りの松をみて休憩所前に出ます)6593
(頂上への登りと水神社へ向かう分岐)6600
(上池に影を落とす木々の緑)6602
(敷き詰めた石板の山道)6604
(湧き水が敷石の間を流れる)6605
(上池へ流れている)6606
(上高地や奥日光の自然がここに)6609
[甘泉園2] 2024.3.27.wed
庭園は居ながらにして自然界へ導いてくれる。箱庭的と言うが更に深みを増したダイナミッックな世界です。言えば非現実空間をも作り出せる筈です。ジオラマがそれでしょうか。理屈は兎も角、私はでっかい箱庭が好きなだけかも知れません。資金が有り余って営業経費だと理屈が通ればデイズニーランドだって同じですよ。
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甘泉園
(都電面影橋から早稲田側の裏道へ) dun06575
(泉のある美庭園へ)6577
(耐える事無き湧き水の池)6583
(古来より茶の湯に用い甘露の美味)6584
(上池と下池を分つ小滝)6585
(小滝に沿って飛び石から美林へ)6588
(下池には鯉も小魚も遊ぶ)6591
[甘泉園] 2024.3.26.tue
1774年、徳川家ご三卿清水家下屋敷あとに造成された庭園とか。早稲田丘陵地に涌き出る湧水が茶の湯にして美味と重宝され、その名が付けられたとか。現在もなお絶える事無くこんこんと湧き出ています。受け売りの歴史はこの辺で、園内の散策は丘陵地頂上の水稲荷神社へ向けてゆっくり登ります。登るは大袈裟、緩やかで高低差などわずかなもの、周りの風景を愛でながらのんびり歩きで行きましょう。
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THINK PARK3
(中に入らずカフェにも寄らず)5673
(コツコツと杖の音を聞きながら)5676
(富士山の巻き道を行くつもりで)5677
(谷間のカフェはシオサイトのよう)5678
(谷間のカフェは最近のビルに多い)5679
(やがて大崎駅の施設が目に入る)5684
(品川インターシテイがここにもの感)5687
[THINK PARK3] 2024.3.25.mon
円安ドル高で海外から旅行客が押し寄せて来るとか、津波でなくて良かった。もう私は海外へ出ません。栃木の野洲っ子、東京に居着いてン十年、東京が見た目立派になって、見た目の外国には負けません。外見散歩の私メは東京だけで充分です。空港の乗り継ぎで走り回ったり、数時間も待たされたり、偉そうなスタッフに無視されたり、能率主義には着いて行けません。
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THINK PARK2
(振り向けば塀の向うも大工事中)5665
(ビルの入口は敬遠 散歩者は外道へ)5666
(雑木林の小径を辿る雰囲気)5669
(花期はいつまで、ツワブキ多数)5671
(若者達は恋人と歩くがいい)5670
(都会にも花咲く小径も枯れ葉の林も)5674
(疲れたら左手にカフェもある)5672
[THINK PARK2] 2024.3.24.sun
私メも若ければ細君を連れて来たかった。しかし歳をとった亭主とは出たがらない。姉妹が多いので、亭主より姉妹と群れたがる。もっとも放浪癖は私メだけかも。膝を痛めてから歩く早さは三分の一、百歩進んで一分休み、これでは付き合わぬのが正解、もともとが単独行で山歩きを楽しんでいた私メ、女房連れなど贅沢、贅沢です。
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THINK PARK
(こんな広い敷地山手線前にあったのか)5657
(ビルが建つ広さの休憩所)5656
(法律で設ける義務にしても素晴らしい)5655
(緑が少ない街路樹をと叫んだ人がいた)5658
(このビルの主がthinku parkを造ったのか)5659
(ビルの中階に向かう大階段)5660
(感謝を込めて階段を上る)5663
[THINK PARK] 2024.3.23.sat
田端駅近くに移り住んだ頃、兄に言われました。山手線の駅に近い所に住めるとは幸せ者だ。友人が言いました。山手線でも田端や大崎じゃ発展しないよ。田端は国鉄の本拠地、なるほどでした。でも大崎は明電舎あとの大変な発展ぶり、昔を思うとどこがどうなった等の理解が出来ません。THINK PARKと言うのは考える公園では直訳しすぎですよね。
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飛鳥山公園3
(三つの博物館付近の自由の女神)5352
(広い公園に1本だけ冬桜 奥は博物館)5341
(紙の博物館付近)5353
(飛鳥山の山頂と中腹部を結ぶ階段)5360
(中腹広場の大滝 水が落ちる日時不明)5357
(大滝の他にも滝や噴水がある)5359
(時の鐘を模した時計塔)5361
[飛鳥山公園3] 2024.3.22.fri
昨日の車内で、数人の学生さんが、足を大きく投げ出してイスにもたれています。混雑はしていませんが、車内を行く人が迂回するほどでした。私は迷いました。注意するのは年寄りの役目、声をかけようか、寝たふりをしようか…。学生の一人が私の視線に気付いて他の学生に耳打ちしました。何と全員がきちんと座り直したのです。言わなくて良かった。
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飛鳥山公園2
(山の上の丘は花見桟敷 南北に伸びる丘)5325
(数年前から出現した露座の観音像)5328
(開園当時から建つ記念碑)5331
(高くは無い25.4mの展望台からハヤブサ)5335
(小遊園にはシンデレラ城,SL,都電もある)5339
(遊具や水場,トイレ,ベンチ,軽食,喫茶も)5346
(青淵文庫,晩香盧や渋沢庭園,飛鳥山古墳)5348
[飛鳥山公園2] 2024.3.21.thu
渋沢栄一翁が萬札になると聞いて久しい。あれは噂だったのかと思っていたら事実との事、近頃は五千円札止まりで萬札は園がない。テレビの出演者が「芽が出ない中小企業は無くなった方が良い」と叫んでいた。とうとう本音が出たようですね。賃上げに着いて行けない、技術の進歩に追いつけない中小企業はいらない。頭の悪い子供は居なくて良いのか…恐ろしい。
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飛鳥山公園
(飛鳥山より北とピア,王子駅方面)5308
(モノレールのアスカルゴ駅前)5309
(桜の名所はサザンカ,アジサイも名所)5313
(飛鳥山は樹下の宴会花見が待ち遠しい)5318
(桜の下に花の宴 この付近は賑わう)5320
(飛鳥山の中腹広場は大滝水遊び)5322
(中腹にある薪能の舞台が見える)5323
[飛鳥山公園] 2024.3.20.wed
1737年頃に八代将軍徳川吉宗によって開かれた公園と聞きました。かつてはもっと大きかったようです。私が初めて訪れた頃は、現在より南部まで公園だったように覚えています。北部の丘には無料の展望塔が立っていました。首都高工事で地下が道路となり、樹下の花見面積はやや狭まった感じではあります。民衆の為ならシンさんも喜んでいるでしょう。
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上野浄名院2
(八万六千体は当然無いのですが多い) dun6271
(既に背壁のみの地蔵も多く) dun6275
(あどけない幼児のお顔も見受けられ) dun6278
(六万八千の仏がここに眠る) dun6279
(穏やかお顔も歴史の彼方) dun6282
(成長した樹木に隠れた地蔵も) dun6284
(一郭に有名企業名を刻む地蔵の列) dun6285
[上野浄名院2] 24.3.18.mon
この夥しい石の地蔵、どんな思いでここに建てたのか、ひとつひとつに個人の冥福を祈ってそれぞれの子が親が恋人が涙とともに建立したに違いない。崩れかけたお顔お体,慈愛に満ちた優しい、中には幼い笑みを口元に残す地蔵像も見える。建てられた年代も背景も知らず、ただ浄名院のお庭に所狭しと立ち並ぶ石地蔵の姿に圧倒されました。
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